「専門家と行く三江線遺構めぐりバスツアー」
おかげさまで好評のうちに終わりました。
廃線になった三江線にのこる鉄橋やトンネルなどを周るツアーに同行し、
島根県技術士会の酒井さんが解説、
私は三江線の歴史や沿線の観光案内でお話させて頂きました。
NPO法人江の川鐵道が発行した「三江線鉄道遺構図鑑」の
執筆・編集をさせて頂いたご縁で、
この度のツアー解説の依頼を受けたものです。
この日のハイライトは川本町内に残る2つの「目の字ラーメン構造の橋りょう」です。
鉄道遺構研究分科会の調査で判明した新事実に一同驚き!
その志谷川橋りょうと日向川橋りょうは1934年(昭和9年)に作られました。
鉄筋コンクリート製で、当時まだ高価だったコンクリートを節約して強度を出すため、
コンクリートを横に渡して3層に積んであります。
構造計算の理論が確立していない時代なので、鉄筋は適当に配筋されたと推測されていたのですが、
このほど確認された当時の文献によると、アメリカの先進研究の論文を取り寄せて研究し、
それを参考に計算を行って筋道を立てて設計、配筋されたことがわかったのです。
当時はコンピュータはおろか、電卓もない時代。
膨大な計算は、恐らく人力でそろばんをはじいて数値を出していっただろうとのこと。
そして、建設から90年を迎えようという今もなお、
コンクリートは劣化することなく強く美しく佇んでいます。
酒井さんによると、これは手間を惜しまない丁寧な施工の賜物だということです。
いいものを作ろう!という情熱の結晶です。
一同感激して、参加者のお一人は「このパワーをもらおう!」と
コンクリートを手のひらで触っておられました。
酒井さんは、「今はとにかく手間のかかることを避ける。
この貴重な橋りょうを残して、次代を担う若い技術者たちに、
ものづくりの精神を伝えていきたい」と仰っていました。
素晴らしいツアーでした。
主催の邑南町観光協会さんをはじめ、島根県技術士会さん、
ツアーのために草刈りや伐採の準備、当日お出迎えと解説をくださった川本町観光協会さん、
そして遠路ご参加くださった皆さま、本当にありがとうございました。